(七) 焦燥
石井縫い師と合って数日後、坂上と河端は三島駅の駐車場で西町の世話人を待っていた。晩秋の夕闇は何故か寂しかった。大人太鼓台を持つ事に今日まで何一つ進展していない。二人を駆り立てているもの
は一体何だろう。河端は坂上に言った。「どうするな、西町の見て良かったら、石井さんは手付うちなあゆうとったけど。」坂上は答えた。「とにかく見てから考えたらええやな。」当たり前の会話が空しく交わされていた。
土台は上出来だった。金物飾りは今一だった。七重を見せてもらって河端は尋ねた。「七重って白色なんですか?」西町の世話人が答えた。「これに布巻くんじゃな。」赤布を巻いていない七重を見て白い七重と勘違いする程度の知識で二人は動いている。西町と交渉しても太鼓台は持てそうだ。西町の世話人は製材所を営んでいて、足りない唐木パーツは格安で作ってくれるとも言ってくれた。ただ二人にはこれで確実に太鼓台を持てるという安堵感はなかった。
栄町組合事務所で頻繁に集会が持たれた。常時出席していたのは六~七人だった。ただ、進展しない状況と、乗り出した船の方向に確信を持てない不安からか、次第に重苦しい雰囲気が全体を覆いつつあっ
た。出席者は毎回千円を出し合ってビールを注文した。アルコールの力を借り、まず、大人太鼓台を持つと意気込んだ祭り当日にタイムスリップする事が、建設的な意見交換の為の絶対的要素になっていた。その日はまず西町の報告があった。その後、しばらくして、慎重な水本が言った。「このあたりで、ガス抜きする為にも、太鼓に反対しよる人の意見も聞く必要があると思うんじゃけど、どうだろかなあ~。」瞬間的に河端が言った。「それよりも、やっぱり、今は太鼓持とかゆうて頑張っとる人間の意識統一を徹底する方が大切じゃあ思います。今、反対しよる人の意見聞っきょたら中がぐちゃぐちゃになる思います。」水本は河端の意見に頷きながらも冷静にさらに言った。「ただ、僕の周りでは圧倒的に反対者が多てなあ。維持管理、お金の負担、かき手、炊き出し、それから、みてみな、保管場所だってなかろわな、まあ、反対する人らと膝交えて話する事も必要でないんかなあ。」
河端は分かっている。水本も河端に負けず太鼓台を持つ事に情熱をかけている。ただ、方向が違うのだ。会全体が暫く沈黙した。すると、その時、星山が勢いよく言った。「他の町にできて栄町にできんゆう事ないわい、やろか思たらできらいや。頑張ったらええでないな。」出席者全員が頷いた。とにかく太鼓台を持つという目標に向かって最大限の努力をしていこう。ただその時点で、その目標は、限りなく夢のようなものではあった。
(八) 自治会長のアドバイス
十一月終盤のある日、久保達一自治会長が河端の家を訪ねてきた。河端の父親は自治会の副会長をしている。自治会運営の話があって訪ねてきたのだ。要件が済んで雑談が始まり、暫く時間が経って、突然久保会長が河端に言った。「あんた達、太鼓作ろかゆうのはホントかいな?」河端は努めて冷静に答えた。商店街の会では賛同を得られなかったし、今日迄、太鼓台建設の話を自治会長にも伝えていない。河端は経過を話した。久保会長は黙って聞いていた。そして「ふ~ん、農人町譲ってくれんのだったら困るでないか、ほんで、西町は可能性あるんか?太鼓一台作ろかゆうたら何千万もいろわい、金は集まるんか?」と言った。当然の疑問だ。河端は「わしらはそなな凄い太鼓作ろかとは思てないんです。中古の太鼓で十分なんです。それならだいぶ安う作れるんです。ほんで、最悪は、かかった金額を有志で出しおうてもええんです。その内何年か経ったら、町の人も認めてくれて、それからええ太鼓にしていったらええ思とんです。」と正直に胸の内を言った。久保会長は少し笑って、そして強い口調で言った。「それはいかん、太鼓は町の物で、有志や個人の物でない。そなな太鼓作っても長持ちせん。初めから町の物にせんといかん。」河端は黙って頷いた。そして少し安心した。久保会長が太鼓台建設に頭から反対していない事を確認したからだ。
その後、面白い話を聞かされた。神輿が数年前に新調されたいきさつだ。氏子圏である栄町にも寄付金のお願いがあったそうだ。自治会役員数人が寄付金の供出を自治会役員会で提案し、自治会も承認し、町民から寄付金を募ったそうだ。その過程で寄付金の供出を提案した役員数人は強引な手法を使ったそうだ。又、彼等は偏屈で、太鼓台建設に反対しそうだとも言う。但し、と、ここで久保会長は言う。「あのしらも太鼓に関して反対できまい、神輿の時は自分等の言い分通したんじゃけん、なあ、河端君。」河端の父親も笑いながら相槌を打っている。河端には全ては理解できなかったけれど、自治会をバックに太鼓台建設をできる日がやがて来る事を望みながら改めて思った。台を手に入れなければならない・・・。